アンジェラアキの父親はイーオン創業者!実家が金持ちな理由と家族の秘密を全公開

アンジェラアキの父親はイーオン創業者!実家が金持ちな理由と家族の秘密を全公開

※当記事は公開情報をまとめた考察記事です。記載内容は執筆時点で確認できた情報に基づきます。
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アンジェラアキさんの父親について気になって調べている方、多いですよね〜!

「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」や「HOME」などの名曲で知られるアンジェラアキさんですが、実は父親が大手英会話スクール「イーオン」の創業者というとても驚きの事実があります。

この記事では、父親・宝盾書さんの経歴とイーオン創業の歩みをはじめ、アンジェラアキさんの実家が金持ちと言われる理由、母親の国籍や幼少期のハーフとしての経験、さらには家族でのハワイ移住の経緯まで、家族にまつわる情報を余すことなくご紹介していきます。

夫・濱田太陽さんとの馴れ初めや息子さんとの感動エピソード、2025年の全国ツアーや2026年の新アルバム情報まで一緒にまとめているので、ぜひ最後まで読んでみてください。

◆記事のポイント

  • 父親の宝盾書さんは英会話スクール「イーオン」の創業者で、社長・会長を歴任。社長時代の年収は8000万〜9000万円とも言われている
  • 本名は「宝盾美亜(たから・みあ)アンジェラ」で「アキ」は苗字ではなくステージネームの一部
  • 実家は徳島県撫養郡にある庭にプール付きの大きな洋風の家で、私立学校にも通っていた
  • 母親はイタリア系アメリカ人で、幼少期はハーフとして田舎の徳島で注目され続けた経験がある

アンジェラアキの父親・宝盾書とイーオン創業にまつわる真実

  • イーオンを創業した父親・宝盾書さんのプロフィール
  • 本名は宝盾美亜(たから・みあ)アンジェラ—「アキ」が苗字だと思っていた人も多い
  • 実家が金持ちと言われる理由と徳島の豪邸エピソード
  • 母親はイタリア系アメリカ人—異国での苦労とは
  • ハーフとして注目された幼少期の経験
  • 家族でハワイに移住した経緯と両親の約束

イーオンを創業した父親・宝盾書さんのプロフィール

結論から言うと、アンジェラアキさんの父親は大手英会話スクール「イーオン」の創業者・宝盾書(たから・ひろし)さんです。

「イーオン」といえば、全国に250校以上を展開する大手英会話スクール。街中でよく目にするあのスクールを一代で築き上げたのが、アンジェラアキさんのお父さんだったんですね〜!これはかなり驚きではないでしょうか!!

宝盾書さんのプロフィールをまとめてみましょう。

項目 内容
氏名 宝盾書(たから・ひろし)
生年月日 1947年9月13日
職業 イーオン創業者(元社長・会長)
創業年 1973年(徳島市西新浜でアントークを設立)
社名変更 1989年に「株式会社イーオン」へ

宝盾書さんは1973年に徳島市西新浜で英会話教室「アントーク」を設立し、そこから着実に事業を拡大していきました。1989年には社名を「株式会社イーオン」に変更し、全国規模の英会話スクールへと成長させたんです。

現在では全国に250校以上を展開し、毎年多くの人がイーオンで英語を学んでいます。そんな大きな組織を一代で築き上げたのですから、宝盾書さんがいかに先見の明を持った人物であったかが伝わってきますよね。

宝盾書さんはイーオンの代表取締役社長・会長を歴任してきましたが、2024年時点で同社の役員名簿に名前が確認できないことから、すでに退職あるいは引退している可能性が高いとみられています。現在のイーオンは義定義孝さんが代表取締役副会長として同社を率いています。

父は仕事で多忙だった

会社を一代で築き上げるというのは、並大抵の努力ではないですよね。アンジェラアキさんが幼い頃、宝盾書さんはかなりお仕事で忙しかったようです。

過去のライブのMCでアンジェラアキさんが語ったところによると、幼少期に「母親と年子の妹は寂しい思いをしていた」というエピソードがあったとのこと。ただ子どもの教育に対してはしっかりとした方針を持っていたようで、「大学はアメリカへ進学させる」という約束を母親と交わしていたとされています。

なお2024年時点でイーオンの役員名簿に宝盾書さんの名前を確認できないことから、すでに退職している可能性が高いとみられています。

本名は宝盾美亜ンジェラ—「アキ」が苗字だと思っていた人も多い

「アンジェラアキ」という名前を聞いて、「アキ」が苗字だと思っていた方も多いのではないでしょうか?

結論から言うと、アンジェラアキさんの本名は「宝盾美亜(たから・みあ)アンジェラ」で、「アキ」は苗字ではありません。苗字は「宝盾(たから)」なんです。

ちょっと意外ですよね〜〜!!「アキ」を苗字と思い込んでいた方、かなり多いはず(笑)。

幼少期は「宝珠(みこ)」という名前で呼ばれていたとのこと。15歳のときに家族全員でハワイに移住したことをきっかけに、母親の名前にちなんで「アンジェラ」を使うようになったんだそうです。

アンジェラアキさんのプロフィールをまとめてみましょう。

項目 内容
本名 宝盾美亜(たから・みあ)アンジェラ
生年月日 1977年9月15日
出身地 徳島県撫養郡撫養町
身長 166cm
血液型 A型
所属事務所 アキラニ(AKi lani)

所属事務所「アキラニ(AKi lani)」の”lani”はハワイ語で「天使」を意味しているそうです。ハワイでの生活経験が事務所名にまで反映されているんですね〜!愛称は「アンジー」と呼ばれているそうですよ。

好物は英草と紅花で、得意料理は煮物というのもなんだか親しみやすいですよね。ちなみにアメリカ在住時に豆類が体質に合わないと感じて、約5年間は一切食べなかったという面白いエピソードもあります。

実家が金持ちと言われる理由と徳島の豪邸エピソード

アンジェラアキさんの実家が金持ちと言われる理由について、気になりますよね。

結論から言うと、父親の宝盾書さんが大手英会話スクール「イーオン」の創業者であり、社長・会長時代の年収が8000万〜9000万円ほどだったと言われていることが最大の理由です。これだけでも十分に「お金持ち」という言葉が出てくるのは納得できますよね!!

私立の学校に通っていた

アンジェラアキさんの学歴を見ていくと、実家が裕福だったことがよくわかります。

小学校は徳島県の鳴門教育大学附属小学校(私立)、中学校は岡山県に転居して清心中学校(私立)に通っていました。どちらも私立の学校ですから、教育にしっかりとお金をかけてもらえる環境にあったことが伝わってきますよね。

その後15歳のときに家族全員でハワイへ移住したということも、経済的な余裕があってこそ実現できた決断です。当時中学生だったアンジェラアキさんの英語レベルは「This is a pen」程度だったにもかかわらず、ためらいなく移住を決断できたのも、父親の財力があってこそと言えるかもしれません。

実家の外観が話題に

アンジェラアキさんの実家は徳島県撫養郡撫養町にあるとされています。

2016年9月号の「週刊女性」に掲載された情報によると、日本最大の祖谷のかずら橋がある乙井市の乙井百貨店に、アンジェラアキさんが祖母と一緒に買い物に来ていたというエピソードが報告されています。このかずら橋が撫養駅付近にあることから、実家は撫養地区の中でも撫養駅付近にある可能性が高いとみられています。

実家と同じとされる家の外観は、きれいに手入れされた庭木に囲まれた和洋折衷の大きな家だとのこと。なんと庭にはプールまで付いているという情報も!!

日本の一般家庭でプール付きというのはかなり珍しいですよね〜〜!外国人の母親の趣向が影響しているのかもしれませんが、それだけ余裕のある生活環境だったことが伝わってきます。父親がイーオンを一代で築き上げた大実業家ということを考えると、そんな豪邸に住んでいたのも納得です。

母親はイタリア系アメリカ人—異国での苦労とは

アンジェラアキさんの母親についても気になっている方は多いのではないでしょうか。

結論から言うと、アンジェラアキさんの母親はイタリア系アメリカ人です。2006年8月4日発売の「週刊女性」に掲載された情報によるものとされています。

母親の名前や年齢は公表されていませんが、父親の宝盾書さんと同世代だとすると、2024年時点で70代前後の年齢になる方です。職業も明らかになっていませんが、英語関係の仕事をしていた可能性が高く、そのご縁で父親と出会ったのではないかと考えられています。

母親がアメリカで苦労してきた人

アンジェラアキさんが自身のインタビューで語ったところによると、母親はイタリア移民の子として育ち、ネイティブの英語を話す親のもとで育ったわけではなかったようです。

つまり、母親自身もアメリカで「言葉の壁」や「見た目の違い」と戦ってきた経験を持つ方だったということ。そんな母親が留学生として日本にやってきて父親と恋に落ち、徳島の山奥で生活することになったわけです。

異なる文化・言語の壁と戦ってきたという共通点が、父と母の縁をつないだのかもしれませんね。

異国で見た目物珍しい状態になること

当時の徳島の田舎では外国人がほとんどいなかったため、母親が学校行事に来ると学校中が大騒ぎになったという話が伝わっています。

授業参観や運動会で母親が校庭に入ると、生徒みんなが見に行くような状態だったとのこと。アンジェラアキさんは2010年の日本テレビ「ズームイン!!SUPER」で、「母親が見世物のような状況になっていたことが申し訳なかった」と語っています。

今でこそ多様性が認められる時代になりましたが、当時はまだそういった環境ではなかったのが実情。外国人の母を持つアンジェラアキさんにとって、こうした日常はかなりプレッシャーを感じるものだったはずです。

ハーフとして注目された幼少期の経験

アンジェラアキさんは日本人の父とイタリア系アメリカ人の母を持つハーフ(ミックスルーツ)です。

今でこそ「ハーフ」という言葉が広まっていますが、アンジェラアキさんが幼少期を過ごした当時の徳島では、そんな言葉すら存在しなかった時代。「ハーフ」どころか「ガイジン」「ハーフガイジン」と呼ばれるような環境で育ったようです。

日常のちょっとした場面で注目された

結論から言うと、幼少期から日常のあらゆる場面で否応なく注目を集めてしまう経験をしていました。

駄菓子屋でガムを1つ買っただけでも、お店のおばちゃんに「ねえちゃん、日本語うまいね!」と声をかけられてしまうような日常だったとか。そのたびに「父が日本人で、母がアメリカ人なんです」と説明しなければならなかったそうです。

家族でファミリーレストランに入ると、お客さん全員が一斉にこちらを見てきて、シーンと静まり返るというシーンが何度もあったという話も。飲食店で約30人くらいの人が「ガン見」してくるのは、想像するだけでもなかなか辛い状況ですよね〜〜。

空気を読みすぎる性格に

こうした経験から、アンジェラアキさんは「どう歩けば目立たないか」「どうすればその場に溶け込めるか」を小さい頃からずっと考えていたとか。

学校では場を盛り上げるキャラクターを演じていたものの、それは「自分を変な注目を集めないためのカモフラージュだった」と振り返っています。空気を読みすぎる性格に育ったのも、こうした幼少期の経験が大きく影響しているのかもしれません。

また2008年の「毎日新聞」の報道によると、学生時代にハーフであることを理由にいじめられたこともあったとのこと。17歳のとき「30歳の自分へ」と手紙に思いをつづり、ちょうど30歳の誕生日に母親からその手紙を受け取ったというエピソードも。6ページ分の便箋には当時の自分が抱えていた悩みがびっしりと書かれていたとのことで、こうした辛い経験が後の名曲「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」の原点になっているんですね。

家族でハワイに移住した経緯と両親の約束

アンジェラアキさんは15歳のときに家族全員でハワイへ移住しています。

この移住の背景には、両親の間で交わされていたある約束があったとされています

予定より早まった移住

もともと両親の間では、「母親が日本に嫁いでいる間は日本で子どもを育てるが、大学はアメリカへ進学する」という約束が交わされていたようです。異国の地で孤独を感じていた母親にとって、英語圏に戻ることは精神的な支えになるものだったのでしょう。

そのため両親は「このままでは大学入学に間に合わない」と判断し、中学卒業のタイミングで予定より早くハワイへ移住することを決断したということです。当時のアンジェラアキさんの英語レベルは「This is a pen」レベルだったにもかかわらず、です(笑)。

また移住のもう一つの理由として、母親のメンタルケアもあったと言われています。異国の地・徳島で孤独を感じていた母親にとって、英語圏に戻ることは精神的なケアになったのではないでしょうか。

ハワイでもカルチャーショック

ところがハワイに移ってみると、また別のカルチャーショックが待っていました。

見た目がハーフなので現地の友達には「英語が話せるでしょ?」と思われていたようですが、実際には英語がほとんど話せない状態。「リスニングはある程度できるけど、発音が良かったから友達には頭が悪い子だと思われてしまった」と振り返っています。

日本の暗記型の学校教育とは全く異なるアメリカの自由な授業スタイルにも驚き、教室の机を輪っかに並べて生徒が意見を言い合う授業では、何が起こっているのかすらわからなかったと語っています。

日本でも「日本人でも外国人でもない」と感じていたアンジェラアキさんが、今度はハワイでも「アメリカ人でも日本人でもない」という感覚を味わうことになったわけです。こうして日本でもアメリカでも自分を説明し続けてきた経験が、アンジェラアキさんの表現者としてのルーツになっているのかもしれません〜〜。

 

アンジェラアキの父親を調べた人が気になる家族の関連情報

  • 兄弟(妹)について
  • 夫・濱田太陽との馴れ初めと前夫との離婚歴
  • 子供(息子)が母の正体を知った感動エピソード
  • 現在の活動と2026年新アルバム「SHADOW WORK」
  • アンジェラアキの父親・イーオン創業者宝盾書まとめ

兄弟(妹)について

アンジェラアキさんに兄弟はいるのでしょうか。

結論から言うと、アンジェラアキさんには年子の妹さんがいます。なおお兄さんや弟さんの存在は、現時点では確認されていません。

妹さんの詳細なプロフィールは公表されていませんが、過去のライブMCやインタビューでたびたび妹さんの存在に触れています。父が仕事で忙しかった幼少期、母親と妹さんとの3人で過ごすことが多かったようです。

アンジェラアキさんが学校でキャラクターを演じていた理由のひとつに、「妹もいっしょに行動していたので、自分まで目立つと妹に負担をかけてしまう」という気持ちがあったと語っています。姉として妹さんを守ろうとする優しい性格が伝わってきますよね。

ハワイ移住後も妹さんとともに現地の高校に通い、それぞれ新しい環境に適応していったとのことです。幼少期から異国の文化の中で育ってきた二人は、きっと互いの苦労を誰よりも理解できる存在だったのではないでしょうか。

現在の妹さんの情報は非公開のため詳細は不明ですが、アンジェラアキさんとは今も仲が良い関係にあるものと思われます。

夫・濱田太陽との馴れ初めと前夫との離婚歴

アンジェラアキさんの現在の夫について気になっている方も多いですよね。

結論から言うと、現在の夫は音楽ディレクターの濱田太陽(はまの たいよう)さんで、2007年3月9日に結婚しています

アメリカ人の前夫との離婚歴

実はアンジェラアキさん、現在の濱田さんとの結婚が初婚ではありません。デビュー前にアメリカ人男性と結婚していた時期がありました。

アメリカのジョージ・ワシントン大学卒業後、ワシントンで就職しながら音楽活動を続けていた時期のこと。アメリカ人男性と結婚したものの、昼はオフィスワーク・夜は歌の活動という二重生活が続いた末に離婚に至ったようです。

この経験が音楽活動一本に絞る決意につながり、26歳で日本への帰国・メジャーデビューを目指すきっかけになったとも言われています。

濱田太陽さんとの出会いと人物像

現在の夫・濱田太陽さんは、かつてレコードジャパン(現ERJ)の音楽ディレクターを務めていた方です。

結婚当時、濱田さんは41歳でアンジェラアキさんより12歳年上。デビュー当初から彼女の才能を見抜いていたようで、「HOME」や「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」といった楽曲の制作にも深く関わっています。音楽面でのドライバーとして支え続けてきたまさに人生のパートナーと言える存在ですね。

2012年2月には長男が誕生し、現在は3人家族で生活しています。

項目 内容
夫の名前 濱田太陽(はまの たいよう)
職業 元レコードジャパン音楽ディレクター
結婚年月日 2007年3月9日
年齢差 アンジェラアキさんより12歳年上
子供 2012年2月生まれの長男

子供(息子)が母の正体を知った感動エピソード

アンジェラアキさんには2012年生まれの息子さんがいます。2025年時点では中学2年生になっているようです。

実はこの息子さん、長い間ずっと自分の母親がアンジェラアキだとは知らなかったというエピソードがとても話題になっています〜〜!!

自宅にはCDや音楽活動の痕跡を一切置かず、普通のお母さんとして過ごしてきたためか、幼い頃から「お母さんは歌手だ」という認識が息子さんにはまったくなかったとか。

学童でも手紙を聴いていたことがあった

息子さんが小学5年生のとき、学童保育の動画で「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」を歌う女性を見ていたことがあったそうです。その黒いメガネをかけた女性が自分の母親だとは、そのときは全く気づかなかったとのこと。

帰宅した息子さんから「ねえ、アンジェラアキって何?」と聞かれたとき、アンジェラアキさんはうまく答えられなかったと言います。まったくと言っていいほど自分の音楽活動を家庭内で見せていなかったわけですが、同じ画面の中の人物が普段の「お母さん」と同一人物だとは信じられなかったようですね。

ツアー初日で大成功

その後息子さんに「お母さんは昔は音楽の仕事をしていた」と説明したそうです。すると息子さんの反応は「…なんで?有名なの?」というものだったとか(笑)。

こうしてようやく母がミュージシャンだと知った息子さん。2025年の全国ツアー徳島公演には息子さんを連れて行ったそうで、公演後に「やっぱり有名だったんだね!言葉では表せないけど、ものすごく良かった!全部の公演に行きたい!」という言葉をもらったとのこと。さらに「次の東京公演もみんなで行けるよね?」と提案してきたそうで、このエピソードにファンからも大きな感動の声が上がっています。素敵な親子エピソードですよね〜〜!!

現在の活動と2026年新アルバム「SHADOW WORK」

アンジェラアキさんは2014年に音楽活動を無期限休止し、アメリカの音楽大学(南カリフォルニア大学・USC)に入学。ミュージカル音楽作家として本格的に学び直す期間を経て、2024年に約10年ぶりに日本での活動を再開しています。

2025年に11年ぶりの全国ツアー

2025年には「Angela Aki Tour 2025 -Eleven-」と題した11年ぶりの全国ツアーを開催しました。7月21日の地元・徳島公演を皮切りに全国10都市10公演を行い、東京国際フォーラム ホールAでのファイナル公演では5000人のチケットが完売するなど大きな反響を呼んでいます。

ツアーでは「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」や「This Love」などデビュー以来の名曲に加え、ミュージカル作品の楽曲や新曲「Pledge」(2025年5月21日リリース)も披露。バンド編成の公演(7公演)とピアノ一本での弾き語り公演(3公演)という2種類のスタイルで行われました。

MCでは「11年ぶりにこのステージに戻ってこられて、本当に心が踊っていて、もう無限な状態」と語り、ファンも大きな歓声で答えました。

14年ぶりのニューアルバム「SHADOW WORK」

さらに2026年には、オリジナルアルバムとして約14年ぶりとなる新アルバム「SHADOW WORK」のリリースも予定されています。

カウンセリングに通いながら自分自身と向き合ってきた経験を楽曲に込めたもので、制作のきっかけは幼少期から抱えてきた自己肯定感の低さに向き合ったことだったとか。2020年頃からShadow Work(シャドウワーク)と呼ばれる心理的な自己探求に取り組み、過去の傷や感情と向き合いながら、家族との関係を再構築してきたそうです。

父親が作り上げたイーオンという企業、母親との国際結婚、ハーフとして育った経験——。アンジェラアキさんの音楽には家族の歴史が色濃く反映されているんですね。今後の活動にもぜひ注目していきたいところです。

アンジェラアキの子供についてはコチラの記事で

アンジェラアキの父親・イーオン創業者宝盾書まとめ

  • 父親の宝盾書さんは1973年に徳島市で英会話教室「アントーク」を創業し、1989年に株式会社イーオンへと発展させた創業者
  • 宝盾書さんは代表取締役社長・会長を歴任し、社長時代の年収は8000万〜9000万円ほどとも言われている
  • 2024年時点でイーオンの役員名簿に名前がなく、すでに引退している可能性が高い
  • アンジェラアキさんの本名は宝盾美亜(たから・みあ)アンジェラで、「アキ」は苗字ではなくステージネームの一部
  • 幼少期は「宝珠(みこ)」という名前で呼ばれており、15歳でハワイ移住後に「アンジェラ」を使い始めた
  • 実家は徳島県撫養郡撫養町にあり、庭にプール付きの大きな洋風の家と言われている
  • 小学校は鳴門教育大学附属小学校、中学校は岡山の清心中学校と、どちらも私立に通っていた
  • 母親はイタリア系アメリカ人で、当時の徳島の田舎では見た目の違いから常に注目される存在だった
  • ハーフとして幼少期から日常的に注目され、空気を読みすぎる性格に育ったと本人が語っている
  • 両親の約束により15歳で家族全員がハワイへ移住。当時の英語レベルは「This is a pen」程度だった
  • 夫は元レコードジャパン音楽ディレクターの濱田太陽さん(12歳年上)で、2007年3月9日に結婚(再婚)
  • 2012年2月に長男が誕生し、息子さんは長らく母がアンジェラアキだと知らなかった
  • 妹は年子でいる。現時点でお兄さんや弟さんの存在は確認されていない
  • 2025年に11年ぶりの全国ツアー「Angela Aki Tour 2025 -Eleven-」を開催し各地で完売する大盛況
  • 2026年に14年ぶりのオリジナルアルバム「SHADOW WORK」のリリースが予定されており注目が集まっている

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