※当記事は公開情報をまとめた考察記事です。記載内容は執筆時点で確認できた情報に基づきます。
※本サイトのコンテンツには、商品プロモーションが含まれています。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の子孫が現在どのように活動しているのか、気になっている方も多いのではないでしょうか。
NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」で注目が高まるなか、子孫の現在・家系図・写真などを詳しく知りたいという検索が急増しています。
八雲の子孫として現在名前が挙がる主な人物は、ひ孫の小泉凡(こいずみぼん)さんと、玄孫の守谷天由子(もりやあゆこ)さんです。
長男・小泉一雄系と次男・稲垣巌系でそれぞれ子孫が続いており、写真や書籍など多くの記録も残されています。
この記事では、小泉八雲の子孫の現在の活動・家系図・写真・書籍・有名人といわれる理由まで、まとめてわかりやすく解説します。
子孫が何人いるのか、稲垣家との関係、戦争にまつわるエピソードなども詳しくお伝えしますよ。
◆記事のポイント
- 小泉八雲の子孫は長男系(小泉家)と次男系(稲垣家)でそれぞれ現在も続いている
- ひ孫の小泉凡さんが民俗学者・小泉八雲記念館館長として八雲の普及活動に取り組んでいる
- 玄孫の守谷天由子さんがアイルランドでジュエリーデザイナーとして活躍している
- 子孫が残した書籍や写真に、八雲の素顔と家族の歴史が記されている
目次
小泉八雲の子孫の現在と家系図を解説
- 子孫は現在何人いるのか
- 家系図をわかりやすく解説
- 子孫の小泉凡はどんな人物か
- 稲垣家の子孫と八雲のつながり
- 子孫が有名人といわれる理由
子孫は現在何人いるのか
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)には、妻・小泉セツとの間に4人の子供がいました。長男・小泉一雄(1893〜1965)、次男・稲垣巌(1897〜1937)、三男・小泉清、そして娘の小泉鈴子です。1904年に八雲が54歳で亡くなったとき、一雄は10歳、巌は6歳、清は4歳、鈴子はまだ1歳という幼い年齢でした。
4人の子供たちからそれぞれ子孫が広がっており、現在も複数の家系で八雲の血が受け継がれています。一般的に名前が広く知られているのは、長男・一雄の家系から生まれたひ孫の小泉凡(こいずみぼん)さんと、次男・稲垣巌の家系から生まれた玄孫の守谷天由子(もりやあゆこ)さんです。
玄孫の天由子さんは自身のブログで次のように語っています。「詳しく説明すると小泉八雲の次男、稲垣 巌の次女の長男の長女。1/16がラフカディオ ハーンなのでギリシャとアイルランドの血が1/32ずつ入っています。ラフカディオから数えて五代目に当たります」とのことです。つまり天由子さんの代では1/16が八雲の血。ギリシャとアイルランドのハーフだった八雲の血がどこまで受け継がれているかが、数字でわかる面白いポイントですよね。
現在、公に活動している子孫として確認できるのは主に小泉凡さんと守谷天由子さんです。ただ、三男・清や娘・鈴子の家系にも子孫がいる可能性は十分あります。すべての子孫が情報発信しているわけではないため、実際の子孫の総数は明確にはわかっていません。
長男・一雄の孫にあたる小泉凡さん一家には一人息子がおり、次男・稲垣の家系の天由子さんには2023年に長男、2026年3月6日に長女が誕生しています。こうして今も新たな子孫が増え続けており、八雲の血脈は着実に受け継がれているわけです。
また天由子さんの言葉の中に「離婚や養子、夭逝の多い家系」という表現があります。八雲の家系は養子縁組や家名の変更なども多く、家系図をたどるのがやや複雑です。次男・巌が「稲垣」という別の姓を名乗るようになったのも、4歳のときにセツの養家・稲垣家の籍に入ったためです。このような経緯から、子孫が必ずしも「小泉」という姓を持っているとは限らず、子孫の数を正確に把握することは難しい面もありますよ。
家系図をわかりやすく解説
小泉八雲の家系図は、八雲(ラフカディオ・ハーン)と妻・小泉セツを起点として広がっています。八雲は1896年に日本に帰化し、「小泉八雲」という名前を正式に名乗りました。妻のセツは松江の士族・小泉家の出身で、1891年に結婚し、松江から熊本・神戸・東京へと一家で移り住みながら3男1女を授かりました。
| 世代 | 名前 | 八雲との関係 | 生没年・主な活動 |
|---|---|---|---|
| 1代目 | 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) | 本人 | 1850〜1904。作家・日本研究者 |
| 1代目 | 小泉セツ(節子) | 妻 | 1868〜1932。八雲のリテラリーアシスタント |
| 2代目 | 小泉一雄 | 長男 | 1893〜1965。書簡・遺稿整理。著書「父小泉八雲」 |
| 2代目 | 稲垣巌(いながきいわお) | 次男 | 1897〜1937。英語教師。稲垣家に養子入籍 |
| 3代目 | 小泉時(こいずみとき) | 孫(一雄の長男) | 1925〜2009。著書「へルンと私」 |
| 4代目 | 小泉凡(こいずみぼん) | ひ孫(時の子) | 1961〜。民俗学者・小泉八雲記念館館長 |
| 5代目 | 守谷天由子(もりやあゆこ) | 玄孫(巌の孫の孫) | ジュエリーデザイナー・アイルランド在住 |
次男・稲垣巌が「稲垣」の姓を持つ理由については、八雲の妻・セツが稲垣家の養女として育ったことが関係しています。セツは松江の士族・小泉家の実の娘として生まれましたが、稲垣家の養女となって育ちました。そのため、2男目の巌は4歳のときにセツの養家である稲垣家の籍に入り、「稲垣巌」として生きることになったのです。
ひ孫の小泉凡さんは長男・一雄の直系にあたります。一雄→小泉時→小泉凡という三世代のつながりで、凡さんは現在も島根県松江市を拠点に活動しています。一方、玄孫の守谷天由子さんは次男・稲垣巌の家系で、巌→次女→長男→天由子という流れで八雲から数えて5代目に当たります。
家系図の特徴として、離婚・養子縁組・夭逝が比較的多い点が挙げられます。八雲自身も父母が離婚し、アイルランドの大叔母に引き取られるという不幸な幼少期を過ごしています。その反動から日本で家族を持つことに強い喜びを感じていたとされており、「長年一人ぼっちだったが、セツと結婚してはじめて家族を持てた」という記録が残っています。次男・稲垣巌も40歳で夭逝し、その子孫の血は守谷家を通じて現在のアイルランドへとつながっています。
子孫の小泉凡はどんな人物か

小泉凡(こいずみぼん)さんは1961年生まれで、小泉八雲のひ孫にあたります。父は「へルンと私」の著者として知られる小泉時さん(1925〜2009)で、祖父は八雲の長男・小泉一雄さんです。松江を拠点に、民俗学者・大学教員・記念館館長という三つの顔を持つ方です。
現在の主な肩書きは、島根県立大学短期大学部総合文化学科教授(民俗学)、小泉八雲記念館顧問(館長)、一般社団法人八雲会名誉顧問です。松江市の観光や文化振興にも深く関わっており、地元では「ひ孫先生」として親しまれています。
著書としては「民俗学者・小泉八雲」(恒文社)、「セツと八雲」(朝日新書)などがあります。いずれも小泉八雲を民俗学の観点から読み解いた内容で、特に「セツと八雲」はNHK朝ドラ「ばけばけ」の放映とともに注目を集めました。また、「小泉八雲の怪談づくし」(小泉凡監修解説)は八雲の怪談74話を網羅した手引書で、八雲を初めて読む方にもわかりやすい入門書となっています。
凡さん自身が語っているエピソードで印象的なのが、もともと八雲を避けていたという話です。子供の頃は「先祖の七光り」と思われるのが嫌で、意識的に八雲の作品に近づかないようにしていたそうです。それが変わったのは修士課程のとき。「アメリカの民俗学者・ラフカディオ・ハーン」という論文に出会い、アメリカ民俗学の草分けとしての八雲に強く共感したことがきっかけです。「自分にしかできないことをしよう」と開き直り、それ以来ずっと八雲の研究を続けています。
活動の幅は研究にとどまらず、「松江ゴーストツアー」(累計参加者3,000人以上)の開催や、子供向け教育プログラム「子ども塾―スーパーへるんさん講座―」の実施、国際的な美術展の企画なども手掛けています。妻の小泉祥子さんとともに、ギリシャ・アイルランド・アメリカなど八雲ゆかりの地でも積極的に活動されていますよ。
2026年現在は、NHK朝ドラ「ばけばけ」の放映でさらに注目が集まっており、凡さんのコメントや解説がメディアで紹介される機会が増えています。「分断が進む現代だからこそ、八雲の『つなぐ』力が世界から求められている」という凡さんの言葉は、多くの共感を集めています。
稲垣家の子孫と八雲のつながり
小泉八雲の次男・稲垣巌(いながきいわお)は、1897年に八雲とセツの次男として生まれました。4歳のときにセツの養家である稲垣家の籍に入り、「稲垣巌」として育ちます。京都帝国大学英文科を卒業後、京都府立桃山中学校の英語教師として赴任しました。妻の種市翠(たねいちみどり)は八戸の名家・種市家の出身で、巌が帝大在学中に結婚し、3人の子供が生まれています。
稲垣巌という人物で注目されるのが、その容貌です。玄孫の守谷天由子さんがブログで「21世紀の日本で適切な形容をするとイケメンであります」と表現しているほど、残された写真の多くで整った容貌が確認できます。兄の一雄との兄弟写真や、10代・20代頃の写真が複数残されており、八雲の血とセツの容姿が絶妙に組み合わさったような印象的な顔立ちをしています。
ただ、巌は1937年に40歳という若さで夭逝しています。おそらく癌だったとされており、長生きした場合にはどんな人物になっていたかを想像させます。守谷天由子さんは「英語が堪能な分、太平洋戦争を経験せずに他界したのはある意味幸運だったのかも」と語っています。英語教師として戦時中に生き続けることには、様々な困難が伴ったはずです。
稲垣家の子孫ラインは、巌の次女の長男の長女として生まれた守谷天由子さんへと受け継がれています。天由子さんの言葉によれば、この家系には「離婚や養子、夭逝が多い」そうで、28歳になるまで自分が八雲の子孫であることをきちんと認識していなかったと語っています。3回目の訪問で初めて会った祖母(稲垣巌の娘)から詳しく話を聞き、自分のルーツを知ったそうです。
現在、稲垣家の子孫として公に活動しているのは天由子さんです。アイルランドのトラモアを拠点に、ジュエリーデザイナーとしての活動・ブログ・YouTube更新・セカンダリースクールでの日本語教師など、多彩な仕事をこなしています。夫はラフカディオ・ハーン・ジャパニーズ・ガーデンズ(アイルランド)のツアーガイドで、夫婦で八雲と深くつながった生活を送っていますよ。ちなみに、トラモアは幼い八雲を引き取って育てた大叔母サラ・ブレナンの別荘があった地で、天由子さんはそこに縁を感じて移住先にしたとのことです。
子孫が有名人といわれる理由
小泉八雲の子孫が有名人として紹介されるようになったのは、いくつかの要因が重なっています。まず最も大きいのは、ひ孫の小泉凡さんが学者・館長・メディア出演者として多方面で活躍していることです。日経BOOKプラスやNHKなど大手メディアのインタビューにも登場しており、「八雲の子孫として語れる人」として社会的な認知度が高い存在です。
また、NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」(2025年後期)の放映により、八雲とセツのモデルとなった人物への関心が全国的に高まりました。番組の中で「小泉凡さんはひ孫で小泉八雲記念館館長」という情報が広まり、「有名人の子孫」として多くの方に認識されるきっかけとなっています。
玄孫の守谷天由子さんが有名人として注目を集めた出来事としては、2026年3月6日の出産が挙げられます。この日はちょうど「ばけばけ」でトキ(セツのモデル)が出産するエピソードの放映日と重なりました。天由子さんがアイルランドの病院から「八雲とセツの子孫を増やしてきます」とXでリアルタイム発信したことで大きな話題になり、「ご先祖様のお導きと言わずに何と言いましょう」「奇跡すぎる」と多くのコメントが集まりました。
さらに、守谷天由子さんは2026年4月6日発売予定の「世界へ飛び出た100人の日本人」(集英社インターナショナル)に掲載予定とのことで、書籍を通じた知名度向上も見込まれています。八雲の足跡を2回世界一周してたどるなど、その行動力とストーリー性も「有名人的」な注目を集める要素の一つです。
ひ孫・凡さんと玄孫・天由子さんという2人の子孫が、研究・教育・アート・SNSという全く異なるフィールドでそれぞれ活躍しているのが、小泉八雲の子孫が「有名人」と呼ばれる大きな理由といえるでしょう。それぞれが持つ八雲への思いと行動力が、現代の読者・視聴者の心に響いていますね。
小泉八雲の子孫の現在・写真から書籍まで
- 子孫に残る写真と現在の姿
- 子孫と俳優のつながりとは
- 子孫に受け継がれた画家の才能
- 子孫と戦争にまつわる知られざる話
- 子孫たちが残した書籍と文献一覧
子孫に残る写真と現在の姿
小泉八雲の子孫に関する写真は、いくつかのルートで現在に伝わっています。最も公式な形で保存されているのは、島根県松江市にある小泉八雲記念館の所蔵資料です。八雲自身の肖像写真はもちろん、家族写真・遺品・書簡なども収蔵されており、企画展でも一部公開されています。
特に写真として印象的に語られるのが、次男・稲垣巌に関するものです。玄孫の守谷天由子さんがブログで紹介している複数の写真では、兄の一雄と並んだ兄弟写真や、若い頃の単独写真など、八雲の血を受け継いだ整った容貌が確認できます。「21世紀の日本でいえばイケメン」と天由子さん本人が表現するほどで、ファンの間でも話題になっています。
小泉八雲記念館では、八雲没後110年を記念した企画展「ヘルンと家族」でも多くの家族写真が展示されました。長男の一雄が10歳で父を亡くしてからも、家族の団結力と八雲への思いを継続させてきた記録が、写真・書簡・回顧録という形で残されています。
また、記念館の企画展「小泉セツ—ラフカディオ・ハーンの妻として生きて」(2024〜2026年開催)では、セツ直筆の草稿・帰化に関する書類・ハーンの友人からセツ宛書簡・遺愛品などが展示されており、子孫の方々が提供した貴重な資料も含まれています。セツの化粧道具・ルーペ・姿見など、生活に密着した遺品も収蔵されていますよ。
現在の子孫の「姿」という点では、小泉凡さんは日経BOOKプラスやNHK番組などで写真付きのインタビューが多数掲載されています。温和な笑顔と学者らしい佇まいが特徴で、ひ孫としての誇りと謙虚さが伝わってくる印象です。一方、守谷天由子さんはブログ・YouTube・Xなどで積極的に現在の姿を発信しており、アイルランドでの生活や八雲ゆかりの地を訪れた旅の写真なども見ることができます。
八雲本人の写真については、近視が強くほぼ失明に近い左目を持っていたため、写真撮影が得意ではなかったと伝えられています。残された肖像写真では常に横を向いているものが多く、「片目を見せないようにしていた」という話も伝わっています。そういった八雲の個性的な写真の逸話も、子孫の方々が語り継いでいるエピソードの一つです。
子孫と俳優のつながりとは
「小泉八雲の子孫と俳優」というキーワードで調べると、いくつかの興味深いつながりが見えてきます。まず押さえておきたいのは、八雲の子孫自身が俳優として活動しているという情報は現時点では確認されていない、という点です。ただ、八雲とその子孫を取り巻く世界は、俳優・芸術家との深い交流で彩られています。
最も有名な例がNHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」(2025年後期放映)です。この作品では、小泉八雲をモデルとした「レフカダ・ヘブン」という人物をトミー・バストウが演じ、妻のセツをモデルとした「松野トキ」を高石あかりが演じています。ドラマと同時進行で玄孫の守谷天由子さんがXで出産をリアルタイム発信するというドラマが起きており、フィクションと現実が絶妙に重なった話題となりました。
また、松江出身の俳優・佐野史郎さんは、八雲の命日前後に毎年行われる朗読ライブで中心的な役割を担っています。ギタリストの山本恭司さんと組んで、八雲の作品を音楽と朗読で表現するパフォーマンスを続けており、アイルランドのレフカダでも公演が行われています。佐野史郎さん自身は八雲の子孫ではありませんが、八雲文化の継承者として子孫たちと深い交流を持つ俳優として知られています。
八雲の子供たちの中では長男・小泉一雄が父の作品を後世に伝えることに生涯を捧げました。英語での講義録や書簡を整理・出版した一雄の仕事は、「語ること・伝えること」への深い愛着を感じさせる側面もあります。八雲は生前「語ること」を非常に重視しており、自身の作品を声に出して読むことを学生にも勧めていたとされています。
こうした「語り・演じる」という文化は子孫たちに受け継がれ、朗読パフォーマンスや記念館でのガイドツアーという形で今日まで続いています。ひ孫の小泉凡さんが「松江ゴーストツアー」を企画・運営しているのも、八雲の「語る文化」を受け継ぐ実践の一つといえますね。
子孫に受け継がれた画家の才能
小泉八雲は「ワードペインター(言葉の画家)」と呼ばれた作家です。選び抜かれた言葉で視覚的な映像を描き出す文体は、読む人の心に鮮明な絵を刻み込みます。その「画家的な感性」は、子孫たちにもさまざまな形で受け継がれているようです。
最もわかりやすい形で芸術的活動を行っているのが、玄孫の守谷天由子さんです。天由子さんはジュエリーデザイナーとして自身のブランド「Apocaθist(アポカシスト)」を運営しており、ギリシャ語で「生まれ変わる」を意味するブランド名には、八雲のギリシャルーツへの思いが込められています。コントラバスの弦を素材に使ったネックレスなど、独創的なデザインのジュエリーを制作・販売しており、ベルリンでの個展開催経験もあります。かつては伊勢丹などでイベント販売も行っていたそうです。
ひ孫の小泉凡さんの妻・小泉祥子さんも、芸術との接点が深い人物です。祥子さんは「The Open Mind of Lafcadio Hearn」という現代アート美術展を企画・展開しており、ギリシャのアテネ(2009年)を皮切りに、松江・ニューヨーク・ニューオーリンズなどハーンゆかりの地で開催してきました。八雲の「偏見のない開かれた精神性」を現代アートで表現するというコンセプトで、国際的にも高い評価を受けています。
また、八雲の怪談を視覚芸術に昇華した作品も多く存在します。フランスの画家ベンジャミン・ラコンブによる怪談をテーマにした展覧会(2022年ミラノ)では、半年間に9万5,000人が来場するほどの大盛況となりました。アイルランドでは「ブルー・ムーン・プロジェクツ」が版画・写真作品40点を制作し、大阪・関西万博のアイルランドパビリオンでも展示されています。
「子孫に画家がいる」という情報は現時点では確認できませんが、八雲の「見えないものを言葉と感性で描く」という精神は、ジュエリーデザイン・美術展企画・怪談アートという形で、現代の子孫たちに脈々と受け継がれていますね。
子孫と戦争にまつわる知られざる話
小泉八雲の子孫と戦争というテーマは、あまり語られることがないですが、実は複数の視点から興味深い事実があります。中でも注目されるのが、次男・稲垣巌(1897〜1937)の生涯です。
稲垣巌は1937年、40歳で夭逝しています。死因はおそらく癌と伝えられており、太平洋戦争(1941〜1945)の直前に亡くなったことになります。英語教師として活躍していた巌にとって、もし1941年まで生きていたとすれば、日米開戦という激動の時代に英語教育者として非常に複雑な立場に置かれていたはずです。玄孫の守谷天由子さんも「英語が堪能な分、太平洋戦争を経験せずに他界したのはある意味幸運だったのかも」と率直に語っています。
戦時中の日本において英語は敵国語として扱われ、英語教師たちが様々な苦難を強いられた歴史があります。天由子さんのこの言葉は、八雲の子孫ならではのリアルな視点かなと思います。
また、長男の小泉一雄(1893〜1965)は太平洋戦争を全て経験しました。一雄は父・八雲の書簡や遺稿の整理・出版に生涯を捧げた人物ですが、戦時中にそれらの「外国人作家の記録」をどのように守り伝えていたのかはあまり語られていません。父・八雲はイギリス国籍から日本に帰化した人物であり、英語で作品を書いた著者の遺稿を戦時中に大切に保管し続けることは、決して容易ではなかったはずです。
さらに興味深いのは、守谷天由子さんが言及している「他の曾祖父」の話です。天由子さんは八雲の子孫ですが、残りの6人の曾祖父母は全員日本人で、全員が明治から昭和にかけて現在でいう海外(釜山・仁川・瀋陽・大連・ハルピン・スマトラなど)に住んでいた経験があるとのこと。さらに「陸軍中野学校の出身で諜報員として現中華人民共和国の大連やインドネシアでこっそり仕事していた」曾祖父もいたといいます。こうした背景を持つ家系に生まれた天由子さんが、現在アイルランドで八雲の足跡を追いながら生きているというのは、不思議な歴史のめぐりあわせを感じますね。
八雲自身も1893年の書簡で「電気と蒸気と数字の世界で味気なく、むなしい」と記し、「いずれロシアはスカンディナビア方面に侵略し、東西の両文明に脅威を与えるのではないか」という予言めいた言葉も残しています。100年後の現代にそのまま当てはまる言葉を残した八雲を、子孫たちはどんな思いで見つめているのか、想像するだけでも深いものがありますよ。
子孫たちが残した書籍と文献一覧
小泉八雲の子孫たちは、父・祖父・曾祖父としての八雲を記録し、後世に伝えるために多くの書籍を残しています。これらの文献は、作家・研究者としての八雲だけでなく、家庭人・父親としての八雲の素顔を知るうえで欠かせない資料です。
まず長男・小泉一雄(1893〜1965)が残した著書として「父小泉八雲」(1950年、小山書店)と「父八雲を憶ふ」があります。一雄は10歳で父を亡くしており、子供の目から見た父・八雲の記録は他に代えがたい価値を持ちます。「私の父は、私にとって父であり、家庭人でした。難しい著作を書いた人ではありませんでした」という一雄の言葉は、作家というフィルターを外した八雲の人柄を教えてくれます。
| 著者・編者 | 書名 | 出版社・年 |
|---|---|---|
| 小泉一雄(長男) | 父小泉八雲 | 小山書店・1950年 |
| 小泉一雄(長男) | 父八雲を憶ふ | 恒文社 |
| 小泉時(孫) | へルンと私 | 恒文社・1990年 |
| 小泉凡(ひ孫) | 民俗学者・小泉八雲 | 恒文社 |
| 小泉凡(ひ孫) | セツと八雲 | 朝日新書 |
| 小泉凡(監修・ひ孫) | 小泉八雲の怪談づくし | 八雲会 |
| 守谷天由子(玄孫)掲載 | 世界へ飛び出た100人の日本人 | 集英社インターナショナル・2026年4月発売予定 |
孫の小泉時(1925〜2009)による「へルンと私」(恒文社)も重要な一冊です。小泉時は一雄の長男で、八雲の孫にあたります。幼い頃から祖父・八雲の存在を間近に感じながら育ち、その記憶と家族の記録を丁寧に綴った回顧録です。
ひ孫の小泉凡さんが監修を務めた「小泉八雲の怪談づくし」は、八雲の怪談74話を網羅した入門書です。一般書店での取り扱いは少ないですが、八雲会か小泉八雲記念館に問い合わせることで入手できます。
玄孫・守谷天由子さんは2026年4月6日発売予定の「世界へ飛び出た100人の日本人」(集英社インターナショナル)に掲載予定で、在外邦人として八雲の足跡を追う生き方が紹介されます。天由子さんはブログやYouTubeでも継続的に情報発信しており、書籍に限らず多様な形で記録を残し続けていますよ。
小泉八雲の子孫の現在をまとめて確認
- 小泉八雲にはセツとの間に4人の子供(長男・一雄、次男・巌、三男・清、娘・鈴子)がいた
- ひ孫の小泉凡さんが長男・一雄の系譜に位置し、民俗学者・記念館館長として活躍中
- 玄孫の守谷天由子さんが次男・稲垣巌の系譜に位置し、アイルランドでジュエリーデザイナーとして活躍
- 次男の稲垣巌が「稲垣」姓を名乗るのは4歳でセツの養家・稲垣家の籍に入ったため
- 稲垣巌はイケメンとして玄孫にも語り継がれており、写真が複数残っている
- 八雲の子孫は現在少なくとも5代目(玄孫)まで確認されており、さらに6代目も誕生している
- 守谷天由子さんは2026年3月6日にアイルランドで第2子(長女)を出産
- この出産日はNHK朝ドラ「ばけばけ」の出産シーン放映日と偶然重なり大きな話題になった
- 小泉凡さんと天由子さんはそれぞれ異なるフィールドで八雲の精神を受け継いでいる
- 稲垣巌は1937年に40歳で夭逝し、太平洋戦争を経験しなかった
- 長男・一雄は父の書簡・遺稿を整理し「父小泉八雲」などの書籍を残した
- 小泉凡さんの著書「セツと八雲」(朝日新書)はNHK朝ドラ「ばけばけ」との関連でも注目を集めている
- 守谷天由子さんはジュエリーブランド「Apocaθist」を運営し芸術家としても活動している
- 八雲の怪談は世界中で再評価されており、ミラノ・アイルランド・アメリカでもアート展が開催された
- 子孫たちはSNS・書籍・学術活動など多様な手段で八雲の記録を発信し続けている
