※当記事は公開情報をまとめた考察記事です。記載内容は執筆時点で確認できた情報に基づきます。
※本サイトのコンテンツには、商品プロモーションが含まれています。
黒柳徹子さんは何がすごいのか、気になっている方は多いですよね。
92歳になった今もテレビに出演し続け、回転寿司で20貫を平らげる食欲、毎晩欠かさず行う50回スクワット、全世界2500万部を超えてギネス認定された著作、35年以上継続するユニセフ親善大使活動……その実績はあげればキリがありません。
ヤフー知恵袋でも「黒柳徹子は何が凄いのか?」という質問が多く投稿されており、多くの人が彼女の底知れないパワーに興味を持っていることがわかります。
この記事では、黒柳徹子さんがここまですごいと言われる理由を、具体的なエピソードや実績をもとに徹底解説していきます。
◆記事のポイント
- 92歳で回転寿司20貫を平らげた驚異の食欲と健康の秘密
- 70年以上テレビ出演を続ける日本初のテレビ女優の実力
- 全世界2500万部超・ギネス認定の著者としての偉業
- くよくよしない人生哲学と自分らしく生き続ける思想
黒柳徹子は何がすごいのか?92歳でも衰えない驚異の実力
- 知恵袋でも話題!黒柳徹子は何がすごいと言われる理由
- 92歳で回転寿司20貫!衰えない食欲がすごい
- 毎日50回スクワットを続ける健康習慣がすごい
- 70年以上続く徹子の部屋の長寿キャリアがすごい
- 窓ぎわのトットちゃんがギネス記録を持つ著作家としての実績がすごい
- ユニセフ親善大使として45億円以上集めた社会貢献がすごい
知恵袋でも話題!黒柳徹子は何がすごいのかと言われる理由
結論から言うと、黒柳徹子さんがすごいと言われる理由は「どれか1つ」ではなく、食欲・健康・キャリア・執筆活動・社会貢献・人生哲学など、あらゆる方向で常識を超え続けているからです。
ヤフー知恵袋を見てみると、「黒柳徹子は何が凄いのか?」「黒柳徹子は回転寿司で何皿食べましたか?」「黒柳徹子は毎日スクワットをしていますか?」といった質問が多数投稿されており、回答者たちも「どこからすごいかを説明するのが難しい」と答えているほどです。それだけ彼女の実績はどこを切り取っても驚異的なんですよね〜〜!!
まず、黒柳徹子さんのプロフィールをおさらいしておきましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 黒柳徹子(くろやなぎ てつこ) |
| 生年月日 | 1933年8月9日 |
| 年齢 | 92歳(2025年時点) |
| 出身地 | 東京都 |
| デビュー | 1953年(NHK入局・日本初のテレビ女優) |
| 代表作 | 徹子の部屋、窓ぎわのトットちゃん 他 |
| 社会活動 | ユニセフ親善大使(1984年〜) |
| 婚姻歴 | 未婚(生涯独身) |
忘れてはならないのが、黒柳さんは日本初のテレビ女優だという点です。1953年(昭和28年)にNHKのテレビ放送が開始されたその年から、黒柳さんはテレビの世界に飛び込みました。日本のテレビの歴史そのものとともに歩んできた人物なのです。
70年以上が経った現在も、1976年から放送を続ける『徹子の部屋』(テレビ朝日)に出演し続けています。1万人以上にインタビューしたこの番組の放送記録はギネス世界記録にも認定されているほどの快挙です。さらに著書『窓ぎわのトットちゃん』は全世界で2500万部以上を売り上げ、「もっとも多く発行された単一著者による自叙伝」としてもギネス認定されています。ユニセフ親善大使としては1984年から活動を続け、その募金額はなんと約45億円(2009年5月末時点)にのぼります。
そして92歳の現在も、回転寿司で20貫を一気に食べてしまう食欲と、毎晩50回欠かさず続けるスクワット……。知恵袋で「何がすごいの?」と質問したくなるのも無理はありませんよね。どこをとっても規格外の人なんです!!!!
92歳で回転寿司20貫!衰えない食欲がすごい
結論から言うと、92歳の黒柳徹子さんが見せた「はま寿司爆食い動画」は、YouTubeやSNSで大きな話題を呼びました。
2025年10月、黒柳さんは自身のYouTubeチャンネルで「【驚愕の食べっぷり!?】徹子がはま寿司で回転寿司を爆食!」と題した動画を公開。回転寿司にはほとんど行ったことがないという黒柳さんが、はま寿司を初訪問する様子が収められています。
動画の中で黒柳さんは、タッチパネルの使い方を学ぶところから始まり、商品がレールに乗って届けられる様子に感動する姿を見せています。商品が届くスピードには涙を流して爆笑するシーンまであり、食事以上に「はま寿司そのもの」を満喫していたことがうかがえます〜〜!!
実際に食べたメニューの全貌
| カテゴリー | 注文した品目 | 数量 |
|---|---|---|
| 握り寿司 | さんま・えんがわ・赤貝・サーモン・中トロ・直火焼きカルビ など | 計20貫 |
| サイドメニュー | えだ豆・特製醤油ラーメン | 各1点 |
| デザート | メロン・パフェ | 1品 |
これだけの量を92歳で食べてしまうのですから、本当に驚きしかありません!!!!店内では「65歳以上は安くなる」という広告を見て自分の食欲と比べて笑う場面もあったとのこと。歳の割引制度を超越した食欲……これぞ黒柳徹子さんのすごさです。
この動画を見た視聴者からは、「90代でこの食欲は凄い」「徹子さんが終始大爆笑してるのが新鮮でした」「とにかく面白過ぎる」「はま寿司でこんなに笑っている人は徹子さんが一番だと思うわ」といった反響が多数集まっていました。
ここでひとつ気になるのが、92歳でこれほどの食欲を維持できる理由ですよね。黒柳さんは日頃から健康管理に気を遣っており、後述する「毎日50回スクワット」などの運動習慣がこの元気の源になっていると言われています。食欲があること自体が健康の証明であり、92歳にして「今も衰えない食欲」を持ち続けていることは、まさに黒柳徹子さんのすごさを象徴するエピソードのひとつです。
毎日50回スクワットを続ける健康習慣がすごい
結論から言うと、黒柳徹子さんは毎日寝る前に50回のスクワットを続けているという習慣が話題です。これは本人が公言しており、多くのメディアやSNSで注目を集めています。
脳神経外科医の中冨浩文氏が著した書籍『脳は何歳からでもよみがえる』(アチーブメント出版)の中でも、黒柳さんのスクワット習慣が紹介されています。同書では「黒柳徹子さんは毎日寝る前に50回スクワットをしているそうです」と記述されており、健康維持の参考例として取り上げられています。知恵袋でも「黒柳徹子は毎日スクワットをしていますか?」という質問が多く寄せられており、多くの方が彼女の健康の秘密を気にしていることがわかります。
スクワットが脳と体に与える科学的な効果
なぜスクワットが体にいいのかを少し解説しておくと、運動科学的に見ても非常に理にかなっています。ハーバード大学の精神科医ジョン・J・レイティ氏が行った研究では、20分間運動した後に試験を受けさせたグループは、何も運動しなかったグループよりも明らかに脳血流が上がっていたという結果が出ています。
また、体の重要な筋肉の7割は下半身に集まっているため、スクワットのような下半身の運動によって血流が促され、脳への血流も増加することが報告されています。つまり、黒柳さんが毎晩行っているスクワットは単なる「体の健康維持」ではなく、脳の老化を防ぐ最強の習慣でもあるわけです〜〜!!
同書では草笛光子さん(80歳を超えても朝起きてから15分間ストレッチをして梅茶を飲む)の習慣も紹介されており、長寿で活躍し続ける芸能人の共通点として「継続的な運動習慣」が挙げられています。
黒柳さんの健康習慣まとめ
| 健康習慣の種類 | 具体的な内容 | 期待できる効果 |
|---|---|---|
| 就寝前スクワット | 毎晩50回 | 下半身強化・脳血流促進 |
| 旺盛な食欲の維持 | 92歳でも20貫以上を完食 | 消化機能・代謝が衰えていない証明 |
| 仕事継続 | 毎週収録・撮影 | 脳と体への継続的な刺激 |
年齢を重ねるほど体と頭を動かし続けることの大切さを、黒柳さんは身をもって証明してくれています。92歳でこれだけ元気でいられる背景には、こうした地道な健康習慣の積み重ねがあるんですね。
70年以上続く徹子の部屋の長寿キャリアがすごい
結論から言うと、黒柳徹子さんのキャリアで最もすごい点のひとつが「徹子の部屋」の長寿記録です。
1976年(昭和51年)に始まった『徹子の部屋』は、2025年現在も毎週放送を続けており、その放送年数と放送回数はギネス世界記録に認定されています。ゲストにインタビューした人数は1万人を超えており、まさに前代未聞の記録です。
日本初のテレビ女優として70年以上のキャリア
1953年(昭和28年)にNHKがテレビ放送を開始したその年、黒柳さんはテレビ女優としてデビューしました。当時は日本にテレビというメディアが生まれたばかりで、まさに手探り状態の時代。そんな時代の最前線に立ち続けたのが黒柳徹子さんだったわけです。
NBC(ナショナル・ブロードキャスティング・カンパニー)のプロデューサーだったテッド・アレグレッティーさんがNHKの放送開始にあたって語った「テレビには力がある。その国がよくなるのも悪くなるのもテレビにかかっています。そして私は、テレビが永久の平和に寄与できると信じています」という言葉は、戦争を経験していた若き黒柳さんの心に深く刻まれました。
「もし私がテレビに出ることによって、平和の手助けができるのなら、こんなにすてきなことはないわ」という信念のもとでキャリアを積み上げてきた黒柳さん。単に「長く続けている」だけでなく、明確な信念と使命感を持って70年以上をテレビとともに歩んできたのがすごいんです。
衣装の工夫と創意工夫
現在もファッションアイコンとして知られる黒柳さんですが、実は『徹子の部屋』が始まった頃は収入的に毎日衣装を替える余裕がなかったとのこと。それでも視聴者からのお便りで「衣装を楽しみに見ている」と知った黒柳さんは、毎日違うものを着ることにしました。その方法が面白くて、白いブラウスを買ったら、まず白で着て、次に染め粉でピンクに染め、水色を加えて薄紫にして、グレーにして、最後は黒に染める——都合5回着られるというアイデアです。ストッキングも同様で、家のお鍋で染め粉と煮て黒くしていたとか。ささくれだったお箸だと伝線するので、きれいなお箸でそーっと取り出していたというエピソードまであります(笑)。「おしゃれって研究して工夫するから楽しいのよね」という黒柳さんの言葉が印象的ですよね〜〜!!
窓ぎわのトットちゃんがギネス記録を持つ著作家としての実績がすごい
結論から言うと、黒柳さんの著書『窓ぎわのトットちゃん』は、2023年12月14日付で「もっとも多く発行された単一著者による自叙伝」としてギネス世界記録に正式認定されました。
| データの種類 | 具体的な数値・情報 |
|---|---|
| 刊行年 | 1981年 |
| 全世界累計発行部数 | 2,511万3,862部(2023年9月末時点) |
| 国内発行部数 | 800万部以上 |
| 翻訳言語数 | 20以上の言語 |
| ギネス認定日 | 2023年12月14日 |
| 続編刊行 | 2023年10月(42年ぶり) |
| 受賞 | 第5回野間出版文化賞(2023年) |
これだけ見ても、その実績の凄まじさが伝わってきますよね〜〜!!もともと『窓ぎわのトットちゃん』は、黒柳さんが60年以上前に「婦人公論」に書いたトモエ学園にまつわる短いエッセイがきっかけでした。それを読んだ講談社の編集者がわざわざ会いに来て書籍化を提案したのです。
書籍が完成して「100万部売れています」と言われても、黒柳さん本人には実感がなかったそうです。でもNHKのニュースで印刷会社からトラックいっぱいの本が出荷されている映像を見て、初めて「すごいなあ」と感じたというエピソードが印象的です。
42年ぶりの続編も大ヒット
2023年10月には42年ぶりとなる続編『続 窓ぎわのトットちゃん』が刊行され、こちらも発売直後から大好評でした。前作のファンが長年待ち望んでいた1冊で、「続きを読みたい」という声が多数寄せられていました。
今回の続編では、前作刊行時のように「女が書いたから売れた」「タレントだから受けた」という批評はほとんどなく、「女性ならではの視点」として高く評価されたと黒柳さん自身が語っています。「42年でこんなに世の中が変わった」と実感したとも話しており、時代の変化を感じさせるコメントでした。
2023年12月15日に行われた野間出版文化賞贈呈式では、藤井聡太さんや芦田愛菜さんと同時に受賞。受賞スピーチでは「私は作家ではないので、なぜ賞をいただけたのかわからない。まあ、たくさん本が売れたからかなぁ」とユーモアたっぷりに会場を笑わせていたのも黒柳さんらしいですよね(笑)。
ユニセフ親善大使として45億円以上集めた社会貢献がすごい
結論から言うと、黒柳徹子さんは1984年にアジア初のユニセフ親善大使に任命され、それ以来毎年欠かさず開発途上国を訪問し続けています。2009年5月末の時点での累計募金額はなんと約45億円という驚異的な数字です。
2003年には親善大使としての活動を高く評価され、勲三等瑞宝章を受章しています。
緒方貞子さんとの出会いがきっかけ
黒柳さんがユニセフ親善大使になったきっかけは、後に国連難民高等弁務官などを務めた緒方貞子さんの紹介でした。2020年に亡くなった緒方さんとの縁が、黒柳さんの人生に大きな影響を与えたことは言うまでもありません。「この仕事をしていなかったら、世界の子どもの状況を知らずに生きていたかもしれない」と黒柳さんは語っています。
1984年の任命から2009年の25周年を迎えるまで、毎年開発途上国を訪問してきた黒柳さん。「義務ではないのになぜ毎年欠かさず訪問するのか」と問われるほどの情熱的な活動は、著書『トットちゃんとトットちゃんたち』にも収録されています。
「希望を失った子には今まで会ったことがない」
この言葉は、黒柳さんが世界中の子どもたちと向き合い続けてきた経験から生まれたものです。アンゴラ(1989年当時実質的に内戦中)やインド、レバノンなど、危険を顧みず現地に足を運んできた黒柳さんの姿勢は、多くの人に感動を与えてきました。
黒柳さんは「私がひとつ世界に望むとしたら、本当に、とにかく戦争をしないでほしい」と語っています。幼少期に東京大空襲を経験し、食糧不足や空襲の恐怖を身をもって知っているからこそ出てくる言葉であり、その重みはひとしおです。テレビでの活動とユニセフ活動を両輪として、「平和のために貢献できるなら、こんなすてきなことはない」という信念を持ち続けている黒柳さんのすごさを改めて感じます。
黒柳徹子の何がすごいのか?人生哲学とエピソードに迫る
- 100歳になったら政治記者になりたいという夢と行動力がすごい
- 38歳でニューヨークに飛び出した決断力がすごい
- 人と比べず自分らしく生きる哲学がすごい
- くよくよしない精神力と生き方がすごい
100歳になったら政治記者になりたいという夢と行動力がすごい
結論から言うと、黒柳徹子さんは「100歳になったら政治記者になりたい」という驚きの夢を公言しており、そのために「90歳になったら政治の勉強を始める」という計画まで持っています。
この話を聞いたときのリアクションは「え?!」という驚きしかありませんよね。92歳でも現役でテレビに出演している人が、「100歳には政治記者になる」と言っているわけですから〜〜!!!!
その理由を黒柳さん本人はこう語っています。「100歳のおばあさんがマイク片手に『総理! 総理!』って迫ったら、誰も蹴飛ばせないし、総理も無碍にはできないでしょ?(笑) だから90歳になったら政治の勉強しようと思って」。この一言、めちゃくちゃ面白いですよね(笑)。でも笑えるだけではなく、35年以上「平和への貢献」を実践してきた黒柳さんらしい、真剣な発想でもあります。
86歳で70年越しの謎が解けた
黒柳さんにはもうひとつ印象的なエピソードがあります。戦争中、「なぜ爆弾が落ちてくるような状況で子どもたちが学校に行くのか」という疑問を、70年以上ずっと持ち続けていたと言います。
その答えが判明したのは、ユニセフ活動でレバノンを訪問した86歳のとき。難民の子どもたちに教育を受けさせようと苦労しているシリアの方が「小学生くらいのときに教え込まれたことが、大人になってからきっと役に立つ」と言ったのです。
「86歳になってまだ発見があるんだもの。人生って面白い」という黒柳さんのこの言葉は、人生への真摯な姿勢を象徴しています。何歳になっても学び続け、発見を喜べる姿勢——これも黒柳徹子さんがすごい理由のひとつですね。
38歳でニューヨークに飛び出した決断力がすごい
結論から言うと、黒柳さんは38歳のとき、仕事が順調だったにもかかわらず突然1年以上の活動休止を決め、ニューヨークへ渡っています。
当時の芸能界での活躍は目覚ましいものでしたが、黒柳さんは「このまんまずっと波の中にいるうちに、自分が何だかわかんないうちに流されちゃう」という感覚を持ったと言います。「1回自分で止まってみて、これから先も行けるかどうか確かめる必要がある」という判断のもと、コマーシャルも何もかも全部止めてニューヨークへ旅立ちました。
この決断は、沢村貞子さんに相談したところ「1年くらいは良いけど2年は長いよ」とアドバイスされていたにもかかわらず、黒柳さんは「2年なら2年でもいいや」と思って出発したとのこと。この飄々とした行動力が黒柳さんのすごさを象徴しています〜〜!
ニューヨークでの夢のような生活
ニューヨークではブロードウェイにある演劇学校に通いながら、作曲家・作家のハロルド・ローム夫妻の縁でアーティストたちとの交流を深めていきました。「毎日がお誘いの連続で、毎晩誰かのお家にお邪魔して、自分で食べたことってなかったですね」と語っています。
振袖を着て5番街に立ったり、ニューヨークのアーティストたちのパーティに参加したりと、充実した日々だったようです。また、当時38歳だった黒柳さんが現地のアーティストたちに「22、3歳だと思われた」というエピソードも有名で、年齢を超えた若々しさと明るさが周囲を引きつけていたのがわかります。
帰国のきっかけはテレ朝からのオファー
「2年くらいいてもいいか」と思っていた黒柳さんが帰国したのは、ちょうど1年とちょっとが経ったころ。テレビ朝日から「ニュースショーのアンカーになってほしい」というオファーが届いたからです。「白いブラウスに紺のスカートじゃなくても好きなものを着ていい」という条件に「じゃあやってみようかな」とすっと帰国を決めた柔軟さも、黒柳さんらしさが出ていますよね。
人と比べず自分らしく生きる哲学がすごい
結論から言うと、黒柳さんの人生哲学の核心は「人と自分を比べない」という一貫した姿勢にあります。これを23〜24歳のある日を境に決めて、以来ずっと実践し続けてきたというのが本当にすごいところです。
「往々にして、人って人と自分を比べたがるのよね。私はあんな風にできない、私はあの人よりできる、とか。でも人はもう本当に複雑で、1人1人全部違うじゃない」という言葉は、現代のSNS社会にも深く刺さるメッセージではないでしょうか。
芸能界でも比べない姿勢を貫いた
「特に芸能界なんていうのは、顔がきれいとかスタイルが良いとか、もうそういう勝ち負けみたいなことがいっぱいあるじゃない。だから、そういうのに引きずられちゃ損だなって思ったのね。自分は自分らしくいくしかないなって思って」という黒柳さんの言葉には、長年芸能界の第一線に立ち続けた人ならではの重みがあります。
「そういう風にしたんで、とっても楽でしたよね」とも語っており、人と比べないことが長く活躍し続けるための秘訣のひとつになっていたようです。
“できる”の基準は人それぞれ
また、黒柳さんは「”できる”っていうのはどういうのかっていう基準は、みんな違う」という考え方も持っています。社会や他者が定める「できる・できない」の基準に縛られるのではなく、自分の範囲内でできることができればいいという姿勢で人生を歩んできたのです。「競争しないで来られたのはよかったかな。自分のやりたいこと、自分でできることをやる、その感じで来られたんで、何とかなったかなとは思いますけどね」というこの言葉、92年間を全うしてきた人が言うからこそ説得力が違います〜〜!!!!
30代・40代の女性へのアドバイスとして「やりたいことがあったら、やったほうがいいわよ」「失敗したとしても、そこからまた新しい道を見つけて生きていけるんだから」と語っており、その人生観は多くの人に勇気を与えています。
くよくよしない精神力と生き方がすごい
結論から言うと、黒柳徹子さんのすごさを語るうえで欠かせないのが、「くよくよしない」という精神力です。これを象徴するのが、母・黒柳朝さんとのあるエピソードです。
ある夜、家でワーワー泣いていた黒柳さん。泣きながら母親にいろいろ話をしていたとき、テーブルの上においてあったおせんべいを食べ始めました。そこで母が言ったのです。「あなた今バリバリ音を立ておせんべいを食べているけれど、今のあなたの頭の中に、さっき泣いていたことが少しでも残っているのか、いないのか、そこちょっと知りたいんだけど」。黒柳さんがよく考えてみると、頭の中にあるのは「おせんべいおいしいな」くらいのことだったというオチ〜〜!!
母にそれを言うと「そうでしょうねえ、そんなに音立ておせんべい食べられないわよね」と返されたと言います。この話はとても笑えますが、同時に「終わったことは終わったこと」とすっと切り替えられる黒柳さんの気質をよく表しています。
母・黒柳朝さんから受け継いだ精神
黒柳さんの精神的な強さは、母・黒柳朝さんの影響が大きいと言われています。東京大空襲の翌日、疎開先の青森で知り合ったおじさんの家に身を寄せ、たった6畳のりんご小屋に着いた途端、ゴブラン織の風呂敷をカーテンにし、ドライフラワーを壁に飾ったという朝さん。「どんなときでも、自分らしく楽しむ」という精神は、黒柳さんのファッションや生き方のあちこちに受け継がれています。
また、母・朝さんは96歳で亡くなる少し前(93歳頃)に「私ね、本当は三度三度の食事はお菓子がよかったの」と突然告白。「もうお菓子を三度三度食べてもいいかしら?」と聞かれた黒柳さんが「いいんじゃない?」と答えるシーン、なんとも微笑ましいですよね〜〜(笑)。
「くよくよしない」「人と比べない」「やりたいことをやる」——これらすべてが黒柳さんの生き方の核心であり、92歳でも現役を続けられる最大の理由とも言えるでしょう。この哲学が長寿と活力の源になっているんですね。
黒柳徹子は何がすごいかを総まとめ
- 1953年に日本初のテレビ女優としてデビューし、以来70年以上にわたって現役を続けている
- 『徹子の部屋』は1976年から放送を続け、1万人以上にインタビューしたギネス記録番組として認定されている
- 92歳で回転寿司20貫・ラーメン1杯・デザートを完食した驚異の食欲を持つ
- 毎晩寝る前に50回のスクワットを欠かさず行う健康習慣が話題になっている
- 著書『窓ぎわのトットちゃん』は全世界2500万部超でギネス世界記録に認定された
- 42年ぶりの続編も発売直後から大ヒット、野間出版文化賞を受賞した
- 1984年にアジア初のユニセフ親善大使に任命され、累計約45億円の募金を集めてきた
- 2003年に勲三等瑞宝章を受章し、その社会貢献が国家から認められている
- 38歳で活動を休止しニューヨークへ渡り、1年間の留学・交流を経て帰国した行動力を持つ
- 「100歳になったら政治記者になりたい」という夢を90歳から政治の勉強を始めながら本気で目指している
- 「人と自分を比べない」という人生哲学を20代の頃から90年以上貫いてきた
- くよくよしない切り替えの早い精神力が健康長寿の源のひとつになっている
- 母・黒柳朝さん(96歳で死去)から「どんなときでも自分らしく楽しむ」精神を受け継いだ
- 知恵袋でも「何がすごいか」「回転寿司で何皿食べたか」「毎日スクワットをしているか」などが多く質問されるほど幅広い層から注目されている
- 幼少期の戦争体験から平和への強い思いを持ち続け、テレビとユニセフ活動の両輪で社会に貢献し続けている

